vol.6:1982
103.I CAN'T GO FOR THAT _ Daryl Hall & John Oates
アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット #1:82/01/30(1wk.)

 この曲はホール&オーツの4曲目のNo.1です。
 年が明けてもBillboardでは「Physical」がトップを独走していて、Foreignerの「Waiting for a Girl Like You」は2位に足止めされていましたが、とうとう「Physical」が1位からダウン。ついにForeignerがトップに立つのかと思ったら、前週4位だったこの曲がいきなりトップに踊り出て、「Waiting for a Girl Like You」は10週目の2位となり、結局、1位にはなれませんでした。
 しかし、この曲もNo.1はこの週1週だけなのですから、Foreignerファンとしてはなんともうらめしい曲になってしまいました。

104.CENTERFOLD _ J. Geils Band
堕ちた天使 #1:82/02/06-82/03/13(6wks.)

 この曲は、ボストンを本拠地にしていたJ.ガイルズ・バンドの唯一のNo.1ヒットです。最近、ビールのCMのBGMに使われていますね。
 クラスのアイドルだった天使がヌードピンナップになっていたというこの曲の内容は、田舎者だった私にはあまりピンときませんが、都会に住んでいる者にとっては、結構、有り得るシチュエーションなのかもしれないなと思ったものでした。
 しかし、このヒットの1年ほど前に、プレイボーイ誌のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、女優としても売れ始めていた、ドロシー・ストラットンが、元恋人(後に、実は元夫だったことがわかる)に殺されるという事件があったばかりでもあったので、このシチェエーションは、そう笑えるものでもありませんでした。
 ちなみに、この曲のビデオには、当時、大人気だったMTVの初代VJ、マーサ・クインにそっくりな女の子が出ていて、マーサは女優志望という話も聞いていたので、てっきり彼女が出演していたものと思っていたのですが、後に、本人が否定しています。

105.I LOVE ROCK'N ROLL _ Jaon Jett & the Blackhearts
アイ・ラヴ・ロックン・ロール #1:82/03/20-82/05/01(7wks.)

 Britney Spearsのカバーでも知られるこの曲は、Dragon Ashがパクって「I Love Hip Hop」という大ヒットを生んだのに、彼らはあくまでも自作の曲だと主張したためトラブルとなり、結局、「I Love Hip Hop」は彼らのベストアルバムには収録されなかったといういわくのある曲でもあります。
 ジョーン・ジェットはフィラデルフィア生まれ。全員女性のバンド、Runawaysの元メンバーで、Runawaysは下着姿で歌うことが受けて、日本では1977年「Cherry Bomb」がオリコンで最高位10位を記録する大人気となったのですが、その演奏の下手さは有名で、さすがに欧米ではヒットしませんでした。
 しかし、彼女はその時の酷評をバネとして頑張ったのでしょう。この曲のヒットで有名になって以来は、女性ロッカーの第一人者として名を成すことになるのでした。努力は報われるということですね。

106.CHARIOTS OF FIRE _ Vangelis
チャリオッツ・オブ・ファイアー #1:82/05/08(1wk.)



 この曲は、1936年のベルリンオリンピックを舞台にしてオスカーを獲得した映画「炎のランナー」の主題曲です。心臓の鼓動を思わせるビートの効いたこの曲は、今でもオリンピックやマラソンなどのBGMとして欠かせない1曲となっていますね。
 もともとは「主題曲」という意味で、サントラのアルバムの中では「Titles」という題名になっていて、Billboard Hot 100でもエントリー7週目まではこのタイトルだったのですが、8週目から映画の題名そのままになりました。そして、22週目にしてトップに立ち、1位になるのに最も時間のかかった曲となったのでした。
 ヴァンゲリスはギリシア人で、アテネ生まれ。このヒットの後、「ブレードランナー」や当時、日本映画最大のヒットとなった「南極物語」など、次々と大きな映画の音楽を手掛けました。 90年代はあまり目立った活躍がありませんでしたが、2002年ワールドカップのテーマで見事に復活したのはご承知の通りです。

107.EBONY AND IVORY _ Paul McCartney & Stevie Wonder
エボニー・アンド・アイボリー #1:82/05/15-82/06/26(7wks.)

 この曲は、ポール・マッカートニーの大物デュエット第1弾です。
 「ピアノでは、白鍵と黒鍵が仲良く隣り合っていて、お互いがあってこそ完璧なハーモニーが生まれる。なのに、白人と黒人はどうしてそうはいかないのだろう?..」と歌うこの曲、しかも歌っているのは白人代表のPaul McCartneyと黒人代表のStevie Wonder。ともに代表とするにはこれ以上はないという適任者同士。世界中がもろ手をあげてこの曲を支持したのは言うまでもありませんでした。
 しかし、よく考えてみれば、ピアノの鍵盤は、あくまでも白鍵がメインで黒鍵は補助でしかありません。数も断然、白鍵のほうが多いです。そのため、この曲の作者であるポールの主張する、「ピアノの鍵盤のように仲良くしよう」というのも、所詮は白人のほうが黒人よりも上なのだと、対等の関係を拒否しているように思えて、私は、心からこの曲を支持する気にはなれませんでした。
 特に、Stevie Wonderは、この頃、黒人の地位向上に尽力していて、そのシンボルとして、黒人解放運動の祖、故マーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日を祝日にしようという運動を行っていました(後に実現しました)。しかし、そのキャンペーンソング「Happy Birthday」はイギリスでは、1981年に最高位2位を記録する大ヒットとなっていたのに、本国アメリカでは、とうとうシングルカットされませんでした。そんな状況を知っていた私にとって、Stevieがこんな曲をうれしそうに歌っているのを見るのは複雑な思いがしたものです。

108.DON'T YOU WANT ME _ Human League
愛の残り火 #1:82/07/03-82/07/17(3wks.)

 「エレクトリック・アバ」と異名を取ったヒューマン・リーグの登場です。もともとは、その編成やポップな曲がAbbaに似ていながら、シンセサイザーを駆使していることから、このニックネームがついたのでしょうが、この頃は、Abbaもシンセサイザーを多用するようになっていたので、その違いはよくわかりませんでした。
 ちょうどこの頃の1982年から1983年にかけては、イギリスのアーティストが次々とヒットを生んだことから、「第2期ブリティッシュ・インベージョン」と呼ばれるブームになりました(第1期はBeatlesが上陸した1964〜1965年頃)。Human Leagueは、その先兵を務めたと言っていいでしょう。
 なお、この曲、1番は、落ちぶれた男が元恋人に対して、お前を育てたのは俺じゃないかと泣き付く。2番は、その女性が男に対して、今の私は昔の私じゃないのよと足げにするという内容で、個人的には、いやな話だな〜と思ってます。

109.EYE OF THE TIGER _ Survivor
アイ・オブ・ザ・タイガー #1:82/07/24-82/08/28(6wks.)

 ご存じ、「ロッキー3」の主題歌です。しかし、TBSの「オールスター感謝祭」がいつもミニマラソンのBGMに使っているので、こちらでこの曲を知っている人も多そうですね。本来は、戦いを前にコンセントレーションを高めているという雰囲気の曲です。最近、結婚式のBGMを新郎新婦本人達が選曲していることが多いですが、ある友人の結婚式で、新婦入場のBGMにこの曲を使っていたので、「おいおい」と笑わせてもらったことがあります。
 この曲も私の洋楽カラオケの十八番の1つだったのですが、年をとったせいで高音が出なくなり、歌うのがきつくなってしまいました。さみしい限りです。
 サバイバーは、シカゴ出身のグループで、「ロッキー4」でも主題歌「Burning Heart」を歌いましたが、こちらは惜しくも2位止まりでした。

110.ABRACADABRA _ Steve Miller Band
アブラカダブラ #1:82/09/04,82/09/25(2wks.)

 この曲は、スティーブ・ミラーにとって、1976年の「Rock'n Me」以来6年ぶり、3曲目のNo.1です。
 Steve Millerはウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。Steveが学生時代に組んでいたバンドでは、Boz Scaggsがボーカルを務めていたといいます。
 ちなみに、「アブラカダブラ」はアラビアンナイトに出てくる有名な呪文で、もともとは神様の名前に由来したものだそうですが、私は、この曲がヒットするまで、この呪文は「アブラカブラ」だと思い込んでいたので、「アブラカブラ」が正しいのだと知った時は衝撃でした。結構、同じように勘違いしている人も多いのではないでしょうか?

111.HARD TO SAY I'M SORRY _ Chicago
素直になれなくて #1:82/09/11-82/09/18(2wks.)

 6年ぶりのNo.1ソングが2曲続きます。この曲は、シカゴにとって、1976年の「If You Leave Me Now/愛ある別れ」以来で、2曲目のNo.1です。そして、1978年にバンドのリーダー的存在だったTerry Cassが遊びでロシアンルーレットをしていて銃の暴発で死亡してから低迷していた彼らは、この曲のヒット以降、ボーカルでもあるPeter Ceteraの書くバラードを前面に押し出すようになりました。彼らにとって転機となった1曲と言っていいでしょう。
 この曲は、本来は、3話からなるオムニバス映画「Summer Lovers/青い恋人たち」の主題歌ですが、映画は完璧にこけてしまったので、この映画を見た人は少ないでしょう。
 この曲も、私の洋楽カラオケの十八番の1つなのですが、シングルバージョンだとフェードアウトするのに、収録されているアルバム「Chicago 16/ラヴ・ミー・トゥモロウ」では、1分半ほどしかない次の曲「Get Away」とつながっているため、中にはこのアルバムバージョンをカラオケにしているメーカーがあり、これだとせっかくせつないバラードでいいムードにしたつもりが、ハードロック調の「Get Away」でぶちこわしになってしまいます。カラオケ屋さんにはちょっと考えてほしいものです。

112.JACK AND DIANE _ John Cougar
ジャック&ダイアン #1:82/10/02-82/10/23(4wks.)

 この曲は、ジョン・クーガーことJohn Mellencampの初、そして今のところ唯一のNo.1ソングです。
 Cash Boxでは、この前の曲「Hurts So Good/青春の傷あと」も1位になっていましたが、Billboardでは2位止まりでした。
 John Mellencampはインディアナ州生まれ。本人は本名でデビューしたかったのに、Mellencampという名前は覚えにくいという理由でレコード会社が勝手にJohn Cougarという名前にしてしまったそうです。結局、このヒットで有名になった彼は、芸名をJohn Cougar Mellencampに変更。しばらくして、Mellencampという名前が浸透した頃に、Cougarをはずして本名を名乗るようになりました。意外と執念の男なのかもしれません。

113.WHO CAN IT BE NOW? _ Men At Work
ノックは夜中に #1:82/10/30(1wk.)

 この曲は、オーストラリアのグループ、メン・アット・ワークのアメリカにおけるデビューヒットで、デビュー曲がいきなりNo.1ヒットとなったのでした。
 そして、この曲は、日常的にラジオオーストラリアを聞いていた私にとっては、前年1981年の秋にオーストラリアでヒットした時に大好きになっていた曲だったので、Top 40に入っただけで大喜びしたのですが、まさか1位になるとは思っておらず、うれしい誤算となりました。
 しかも、私は、本国オーストラリアでは、この曲よりも、第2弾シングル「Down Under」のほうがヒットしたことも知っていましたから、2曲連続のNo.1も夢ではないと期待に胸を膨らませたのでした。

114.UP WHERE WE BELONG _ Joe Cocker & Jennifer Warnes
愛と青春の旅だち #1:82/11/06-82/11/20(3wks.)

 この曲は、日本でも大ヒットした映画「An Officer and a Gentleman/愛と青春の旅だち」の主題歌です。
 日本では、この映画で主演のリチャード・ギアが不動の人気を得たわけですが、私は、何と言ってもこの映画は、鬼軍曹役のルイス・ゴセットJr.の映画だと思ってます。特に、ラストシーン、士官学校を卒業した途端、自分より階級が上になってしまった主人公に敬礼する姿には、漢を感じるとともに社会の矛盾を考えさせられてしまいます。この作品で、彼はオスカーの助演男優賞に輝きました。
 ジョー・コッカーはイギリスのシェフィールド生まれ。伝説のウッドストックにも出演している大ベテラン。対して、1977年最高位6位を記録した「Right Time of the Night/星影の散歩道」で知られるジェニファー・ウォーンズはカリフォルニア州生まれ。1987年には映画「Dirty Dancing」の主題歌「(I've Had)The Time of My Life」をRighteous BrothersのBill Medleyとのデュエットで再びNo.1にしています。

115.TRULY _ Lionel Richie
トゥルーリー 愛と測りあえるほどに #1:82/11/27-82/12/04(2wks.)

 この曲は、前年、Diana Rossとのデュエット「Endless Love」のヒットでソロデビューに自信をつけたライオネル・リッチーのソロデビュー曲で、しっかりNo.1を獲得しました。いかにも彼らしいバラードナンバーです。
 Lionel Richieはアラバマ州生まれ。Commodoresの中心的存在だった彼はソロデビューしたことで、結局はCommodoresを離れることになり、Commodoresは新しいボーカリストを向かえることになるのですが、ボーカリストとしてのLionel Richie以上に、ソングライターとしての彼を失ったのが大きかったのか、その後のCommodoresは、Marvin Gayeの追悼曲「Nightshift」が1985年に最高位3位を記録した以外は大きなヒットを出せませんでした。

116.MICKEY _ Toni Basil
ミッキー #1:82/12/11(1wk.)

 トニー・ベイジルはL.A.出身。元女優で振り付け師をしていましたが、1981年の春にイギリスでアルバム「Word of Mouth」をリリース。発売直後はさっぱり売れなかったのが、年が明けて、自ら監督した彼女がチアリーダーに扮したこの曲のビデオがテレビでオンエアされた途端、「Mickey」は最高位2位を記録する大ヒットに。アメリカでも逆輸入され、ほぼ1年近く遅れて大ヒット。アメリカでは1位になりました。
 そして、このビデオの評判から、その後、彼女はビデオ監督として活躍することになります。
 なお、この曲の作者はおなじみ、Mike ChapmanとNicky Chinnで、最初は「Kitty」というタイトルだったそうですが、Toni Basilが「Mickey」に変えたそうです。プロデュースは別の人です。ちなみに、Cash Boxでは1位になっていません。

117.MANEATER _ Daryl Hall & John Oates
マンイーター #1:82/12/18-83/01/08(4wks.)

 ジョークボックスでは「俺困らない」でおなじみのこの曲は、ホール&オーツの5曲目のNo.1です。
 この曲は、アルバム「H2O」からの第1弾シングルで、4週連続No.1と、彼らにとって最大のヒットとなったのですが、このアルバムからはあとが続かず、第2弾シングルの「One on One」は最高位7位、第3シングルの「Family Man」は最高位6位と、当時の彼らの人気にしてはイマイチな結果になっています。
 そして、1983年末、ベストアルバムがリリースされ、それからカットされた「Say It Isn't So」は、「Say Say Say」にはばまれ、4週連続の2位にとどまり、惜しくも1位にはなれませんでした。


- PLUS ALPHA -


OPEN ARMS _ Journey
オープン・アームズ 〜翼をひろげて〜 #2:82/02/27-82/04/03(6wks.)

 Mariah Careyのカバーでも知られるこの曲は、サンフランシスコのバンド、ジャーニーの最大のヒットです。Billboardでは「Centerfold」がトップを独走していた頃、逆に、Cash BoxやRadio & Recordsでトップを独走していたのがこの曲だったのですが、Billboardでは6週連続の2位に終わり、1位にはなれませんでした。
 しかし、何と言っても思い出深いのは、この曲が、当時3大業界紙と言われた、Record World誌の最後のNo.1だということです。Record Worldは、BillboardやCash Boxと違って独自の印刷所を持っていなかったため、印刷所への支払いが遅れたことが即、廃刊につながったのだといいます。チャートは金で買えると言われていた当時、Record Worldだけはそんなことはないとアーティスト達には信頼が高かったのに、それゆえつぶれてしまったのかと多くの人を嘆かせました。
 また、Record Worldのチャートはオリコンや週刊FMに掲載されていましたが、この廃刊によって、その後、オリコンは全米チャートを掲載しないようになりましたし、週刊FMは約2か月後、Radio & Recordsのチャートを掲載するようになりました。しかし、この頃、FMfan誌がBillboard Hot 100の掲載を始めていたので、この2か月のブランクは大きく、多くの客がFMfanに流れたのではないかと思われ、週刊FMの寿命を縮めたような気がします。

THAT GIRL _ Stevie Wonder
ザット・ガール #4:82/03/20-82/04/03(3wks.)

 この曲は、Billboardでは最高位4位ですが、Cash Boxでは1位になっています。Billboardでは、1977年の「Sir Duke/愛するデューク」からこの年の「Ebony and Ivory」まで、Stevie Wonderは1位になれませんでしたが、Cash Boxでは、79年の「Send One Your Love」、80年の「Master Blaster(Jammin')」もNo.1になっていて、ほぼ1,2年に1曲づつNo.1になっていました。
 なお、この曲は、日本ではTDKのCMソングになっていたため、TDKの主催で来日コンサートが行われ、その模様はテレビでもゴールデンタイムに放送されました。目の見えない人のコンサートですから、淡々と歌い上げる地味なものなのかと思いきや、これが全く逆で、非常に視覚効果が考慮された大盛り上がりのもので、彼のライブパフォーマンスには定評があります。当然ながら、そのための専用のスタッフを雇っているのでしょうが、自分は目が見えないのに、目が見えるお客さんのことを第一に考えるというその姿勢には頭が下がる思いです。

ROSANNA _ Toto
ロザーナ #2:82/07/03-82/07/31(5wks.)

 この曲は、CBSソニーの社員が促販のため野沢菜を配ったという話が有名で、普通、この綴り「Rosanna」だと、日本では「ロザンナ」と訳しそうなものですが、発音通りに近い「ロザーナ」という邦題にしたのも、野沢菜を配りたかったからなのじゃないかという話があります。Billboardでは2位止まりでしたが、Radio & Recordsでは1位になっています。
 TOTOという名前は、日本ではトイレでよく見る、旧社名東洋陶器を連想させるため、結構、冷やかされたものですが、本来は、「オズの魔法使い」に登場する犬の名前が由来だと言われています。

GLORIA _ Laura Branigan
グロリア #2:82/11/27-82/12/11(3wks.)

 この曲は、ニューヨーク出身のローラ・ブラニガンのデビューヒット。後に、映画「Flashdance」で主人公の妹のフィギュアスケートの演技のBGMになっていたことから、こちらでこの曲を知った人もいるでしょう。Cash Boxでは1位になっています。
 また、この曲は、イタリアのシンガーソングライター、ウンベルト・トッツィーのカバーです。Umberto Tozziの「Ti Amo」(もちろんイタリア語)は、1978年にヨーロッパ各国で大ヒットしていて私も大好きだったのに日本ではリリースされていませんでしたが、この曲のヒットのおかげで「Gloria」のオリジナルを収録したUmberto Tozziのベスト盤が日本でもリリースされ、私も手に入れることができたのでした。

Home A.T.40 Title 1977 1978 1979 1980 1981 1983 1984 1985 1986
Copyright(c) HBR.Production,2003
Nobeoka City,Miyazaki Pref.,JAPAN