vol.4:1980
71.PLEASE DON'T GO _ KC & the Sunshine Band
プリーズ・ドント・ゴー #1:80/01/05(1wk.)

 80年代最初のNo.1となったのは、KC & the Sunshine Bandの5曲目のNo.1ヒットでした。
 ディスコの先駆け的存在でありながら、ディスコの全盛期だった、1978〜1979年には影をひそめていた彼らですが、実は、KCことHarry Wayne Caseyは、TKレコードのプロデューサーとして腕をふるっていて、多くのヒットを生んでいました。
 そして、ディスコ以外のヒットも出したいと思っていたKCの念願がかなってNo.1となったのが、このバラード曲でした。
 ところが、1992年にヒットしたK.W.S.のカバーでは、しっかりダンスナンバーにアレンジされていました。親の心子知らずといった感じでしょうか?
 なお、CASH BOXではずっとRupert Holmesの「Escape」が1位だったので、この曲は1位になっていません。Billboardでも、「Escape」が翌週1位に返り咲きました。

72.ROCK WITH YOU _ Michael Jackson
ロック・ウイズ・ユー #1:80/01/19-80/02/09(4wks.)

 CASH BOXで80年代最初のNo.1となったのがこの曲、Michael Jacksonの2曲連続のNo.1ヒットでした。
 アルバム「Off the Wall」からの第1弾だった「Don't Stop 'til You Get Enough」がいかにもディスコっぽいヒットだったのに対して、この曲は、プロデューサーであるQuincy Jonesのジャズっぽいサウンドやマイケルのロック志向が見事に融合していて、その後のマイケルのサウンドの方向性をつかんだ1曲だったのではないかと思います。
 本来、ロックンロールは黒人の音楽だったはずなのに、80年代から90年代にかけて、第1線で活躍している黒人ロッカーは、マイケルしかいませんでした。現在はLenny Kravitzががんばっていますが、マイケルにもレニーにももっとがんばってほしいものです。

73.DO THAT TO ME ONE MORE TIME _ Captain & Tennille
愛の証し #1:80/02/16(1wk.)

 1975年の年間No.1「Love Will Keep Us Together/愛ある限り」で知られる、キャプテン&テニールは、Daryl DragonとToni Tennilleによる夫婦デュオ。この頃はABBAをはじめ、夫婦によるアーティストが結構いました。
 キャプテンことDaryl Dragonは、その名前にちなんで、水夫帽をかぶっているのがトレードマークだったのですが、この写真ではそれを脱いでいます。というのも、彼らはイメージの一新をはかって、やはり、ディスコレーベルのイメージを払拭したがっていたCasablancaレコードに移籍したばかりだったのです。
 そして、トニーが作曲、ダリルがプロデュースを担当したこの曲は、彼らにとって久々のヒットとなっただけでなく、Casablancaレコードにとってもうれしいヒットとなったのでした。

74.CRAZY LITTLE THING CALLED LOVE _ QUEEN
愛という名の欲望 #1:80/02/23-80/03/15(4wks.)

 クイーンと言えば、ボーカルのフレディー・マーキュリーがエイズで亡くなったことで伝説となったバンドで、現在でも根強い人気を誇っていますが、当時、アメリカではアイドルのような扱いを受けていて、あまり高く評価されていませんでした。
 そのためか、イギリスでは9週連続No.1で、フレディーの死後、再びNo.1に返り咲いた、永遠の名作「Bohemian Rhapsody」もアメリカでは最高位9位に終わっていました。(ただし、「Bohemian Rhapsody」は92年にリバイバルヒットして、最高位2位を記録しています。)
 ところが、それまでずっとプロデューサーにむかえていたRoy Thomas Bakerから離れて、自分達自身でプロデュースをしたアルバム「The Game」は、自分達のやりたいことが思いっきりできたためか、従来のQueenのサウンドとはかなり違っていて、特に、オールディーズのロックナンバーを彷彿させるこの曲は、彼らにとって初のNo.1となりました。
 これは、すでに絶大な人気を獲得していた日本のファンにとっては、喜んでいいものかどうか戸惑うところでしたが、いかにもQueenっぽいサウンドの第2弾シングル「Play the Game」は最高位42位に終わってしまい、結局、Queenのサウンドはアメリカでは受け入れられないのかと嘆きのほうが大きくなるのでした。

75.ANOTHER BRICK IN THE WALL(PART II) _ Pink Floyd
アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パートII) #1:80/03/22-80/04/12(4wks.)

 意外なアーティストによるNo.1ヒットが続きます。アルバム「Dark Side of the Moon/狂気」が、Billboardのアルバムチャートに570週、実に10年以上ランクし続けたことで知られるプログレッシブロックの雄、ピンク・フロイドですが、そのアルバムからでさえシングルヒットは最高位13位の「Money」だけ。典型的なアルバムアーティストだと思われていた彼らが、よもやNo.1ヒットを放つとは誰も思っていませんでした。
 しかも、その曲は、10代の少年合唱団をフィーチャーしたもの。その少年達は、ロンドンの子供達だというのですが、どう聞いても「education」が「エデュカイション」に聞こえるため、オーストラリアなまりじゃないのか?と思ったものでした。
 ちなみに副題に(PART II)とあるのは、この曲が収録されているアルバム「Wall」には、Part 1からPart 3まで、3曲の「Another Brick in the Wall」という曲が入っているからで、その2曲目だということです。B面に人気が出てひっくり返ったわけではありません。

76.CALL ME _ Blondie
コール・ミー #1:80/04/19-80/05/24(6wks.)

 Blondieの2曲目のNo.1は、この年の年間1位となり、彼女達にとって最大のヒットとなりました。
 この頃、Blondieは、Mike Chapmanをプロデューサーにむかえていましたが、この曲は、映画「アメリカン・ジゴロ」の主題歌だということで、この映画音楽を担当していたGeorgio Moroderがプロデュースしていて、当時のBlondieにしては普段よりもロックぽく仕上がっています。
 そして、このヒットでGeorgio Moroderも有名になり、その後、名プロデューサーとして多くのヒットを生んでいくことになります。
 ちなみに、この曲、途中で、
"..Ooo-oo-oo-oo-oo, amore, chiamami, chiamami
Ooo-oo-oo-oo-oo, appelle-moi mon cherie, appelle-moi.."

という英語ではない外国語の歌詞があり、長いことそれはフランス語だと思っていたのですが、実は、前半はイタリア語で後半がフランス語でした。Georgio Moroderはイタリア出身だったんですね。道理で前半は意味がわからなかったわけです(笑)。「chiamami」はイタリア語で「私に電話して」つまり「call me」という意味です。

77.FUNKYTOWN _ Lipps Inc.
ファンキータウン #1:80/05/31-80/06/21(4wks.)

 Lipps Inc.は、ミネアポリスの実業家の息子、Steven Greenbergが、元Miss Black Minesotaで警察の秘書をしていたCincia Johnsonをボーカルにむかえ、その他大勢で結成したグループでした。
 アメリカでは「リップス・インク」でしたが、イギリスでは「リップス・インコーポレイテッド」、日本ではただの「リップス」と各国、バラバラに呼ばれていました。
 また、この曲は、オーストラリアのグループ、Psuedo Echoが1987年にリバイバルヒットさせて最高位6位を記録しています。

78.COMING UP(LIVE AT GLASGOW) _ Paul McCartney & Wings
カミング・アップ #1:80/06/28-80/07/12(3wks.)

 この曲は、本来はPaul McCartneyのソロアルバム、「McCartney II」からの第1弾シングルで、当然、最初はPaul McCartneyの「Coming Up」としてリリースされたのですが、ホンワカしたアレンジのA面よりも、B面のスピーディーでロックらしいWingsによるライブ盤のほうに人気が集まり、「American Top 40」でもかなり早いうちから、このライブ盤のほうがかかっていました。
 そのため、Hot 100で1位になった時は、まだPaul McCartneyのクレジットで、1位から落ちた7/19付けになって、Paul McCartney & Wingsの「Coming Up(Live at Glasgow)」の表記に変わったのですが、結局、公式記録としては1位になったのは、Wingsの「Coming Up(Live at Glasgow)」だということになっています。つまり、3週間の1位はBillboardの誤植だったということになったわけですね。
 実は、Beatles解散後、元メンバーの4人のうち、John、George、Ringoの3人は、それぞれ2曲づつ、ソロとしてのNo.1ヒットがあるのですが、一番活躍しているPaulのNo.1ヒットは、みな、Wingsとしての作品か、他のアーティストとのデュエット曲で、Paul McCartneyのソロとしてのNo.1ヒットは1曲もありません。意外と言えば意外です。
 ちなみに、この曲はCASH BOXでは1位になっていません。

79.IT'S STILL ROCK AND ROLL TO ME _ Billy Joel
ロックン・ロールが最高さ #1:80/07/19-80/07/26(2wks.)

 ビリー・ジョエルはロングアイランド生まれ。グラミーのRecord of the Yearに輝いた「Just the Way You Are/素顔のままで」をはじめ、バラードに定評のあるシンガーソングライターですが、彼自身は、自分はロッカーなのだと認識しているようで、あえてロック色の強いサウンドに仕上げたのが、アルバム「Glass Houses」でした。彼にとって初のNo.1ヒットとなったこの曲はそのアルバムからの第2弾シングルです。
 ところが、第1弾シングル「You May Be Right/ガラスのニューヨーク」に比べればまだおとなしいこの曲でも、日本ではやはりBilly Joelはバラード歌手のイメージが強いのかイマイチ人気が出ませんでした。しかし、この後も、Billy Joelのアメリカでのヒットは、ロックやポップな曲ばかりなのですから、Joelというアメリカ人っぽくない名前でも、Billyのハートはアメリカ人そのものなのだなと思ってしまいます。

80.MAGIC _ Olivia Newton-John
マジック #1:80/08/02-80/08/23(4wks.)

 オリビア最登場です。彼女にとって2年ぶりのNo.1ヒットとなったこの曲は、その前のNo.1ヒットと同じ、ミュージカル映画からの1曲でした。
 それは、理想郷を意味する「Xanadu/ザナドゥ」という映画で、あのジーン・ケリーが共演し、音楽にはELO(Electric Light Orchestra)も参加するという豪華なものだったのですが、「Grease」とは違って見事にこけてしまいました。結局、私はこの映画を見ていません。
 思えば、当時、オリビアはすでに30すぎ。アイドルをやるには限界を越えていました。そのためかこの曲も、長らくオリビアの曲を手掛けてきたJohn Farrarが作曲、プロデュースを担当しているのに、従来のさわやかなイメージとは違った、大人っぽいアンニュイなイメージのサウンドに仕上げられています。遅ればせながらアイドルからの脱皮をはかっていたということなのでしょう。
 ちなみに「Xanadu」と言えば、イントロがかっこよくて私も大好きな、デイヴ・ディー・グループの1968年の全英No.1ソング「The Legend of Xanadu」の邦題が「キサナドゥーの伝説」だったので、「ザナドゥ」の発音にはちょっと違和感がありました。

81.SAILING _ Christopher Cross
セイリング #1:80/08/30(1wk.)

 「Sailing」と言えば、Rod Stewartの同名異曲が有名ですが、私はこちらのほうが遥かに好きです。
 クリストファー・クロスはテキサス州生まれ。とにかく、そのクリスタルな美しい歌声は誰もを魅了し、大型新人と話題になったのですが、アルバム「Christopher Cross/南から来た男」のジャケットはフラミンゴの絵だけで、謎の人物でした。
 ところが、CASH BOXでは1位になった「Ride Like the Wind/風立ちぬ」に続いてリリースされたこの曲がNo.1になり、公開された素顔は、「こんなむさい男だったのか!」と驚くものでした。(ジャケット写真ではよくわからないでしょうが、写真の中の立っている人物です。)天は二物を与えなかったのですね。
 しかし、彼はこの曲とアルバムでこの年のグラミーを総ナメすることになります。世界中の醜男に希望を与えてくれたと言ったらいいすぎでしょうか?

82.UPSIDE DOWN _ Diana Ross
アップサイド・ダウン #1:80/09/06-80/09/27(4wks.)

 ダイアナ・ロスは、デトロイト生まれ。12曲のNo.1ヒットを放ち、全米チャート史上、最強の女性グループと言われるSupremesのメインボーカリストだった彼女ですが、1970年にソロになって以来、No.1ヒットは4曲。実に4年ぶりに5曲目のNo.1ヒットとなったのがこの曲でした。
 Supremesのヒット曲のほとんどは、Brian Holland、Lamont Dozier、Eddie Hollandの3人のチームが手掛けたもので、そのどれもがいかにも60年代のサウンドといった感じなのですが、それに対して、この曲は、あの元ChicのNile RodgersとBernard Edwardsが手掛けていて、いかにも彼ららしいサウンドに仕上がっています。
 彼女にとって最大のヒットとなったこの曲は、8/2付けの49位から翌週いきなりジャンプアップして10位になりました。「American Top 40」では、いきなりTop 10に新曲が入ってきたわけで、これは、当時としてはものすごいことでした。

83.ANOTHER ONE BITES THE DUST _ Queen
地獄へ道づれ #1:80/10/04-80/10/18(3wks.)

 Queenの2曲目のNo.1ヒットは、またしてもQueenらしくないこの曲でした。Queenのヒット曲のほとんどは、Freddie MercuryかBrian Mayによるものなのですが、John Deaconが作曲したこの曲は、Black Chartでも3週連続2位を記録。これは、白人グループの曲としては初の快挙でした。
 結局、この曲は、Queenにとって最大のヒットとなったのですが、これがかえって彼らを困惑させたのか、その後、彼らは全くと言っていいほどヒットに恵まれなくなってしまいます。彼らを狂わせた曲だと言ってもいいかもしれません。

84.WOMAN IN LOVE _ Barbra Streisand
ウーマン・イン・ラブ #1:80/10/25-80/11/08(3wks.)

 Barbra Streisandの5曲目、そして、最後のNo.1ヒットは、Bee GeesのBarry Gibbをプロデューサーにむかえたアルバム「Guilty」からの第1弾シングルで、「Guilty」は、収録された9曲すべてをBarry Gibbが書いていました。
 また、アルバムの中には、Barry Gibbとのデュエット曲も収録されていたのですが、Barbraは、デュエットによるNo.1ヒットが続いていたため、スタッフ側はデュエット曲を第1弾シングルにするのをいやがって、この曲を第1弾シングルとしてリリースしたそうです。
 結局、続いてリリースされたBarryとのデュエット曲「Gulty」は最高位3位、「What Kind of Fool/別離(わかれ)」は最高位10位を記録しています。

85.LADY _ Kenny Rogers
レイディー #1:80/11/15-80/12/20(6wks.)

 ケニー・ロジャースは、デキサス州ヒューストン生まれ。カントリーの大御所として知られ、この年の初め、「Coward of the County/弱虫トミー」がCASH BOXでは1位を記録していた彼の、初のNo.1ヒットとなり、ソロとしては唯一のNo.1ヒットとなったのがこの曲でした。
 そして、この曲は、CommodoresのLionel Richieが初めて他人に曲を提供し、プロデュースを担当した作品で、黒人がカントリーシンガーのプロデュースを手掛けるというのは非常に珍しいことでしたが、それを見事に成功させ、Lionel Richieはソングライターとしての名声も得ていくことになります。天才は天才を知っていたということでしょうか。
 そのため、彼は、それまでは、Lionel Richie Jr.と名乗っていたのですが、父親を越えたということか、この頃からJr.をはずして、単にLionel Richie と名乗るようになったのでした。

86.(JUST LIKE)STARTING OVER _ John Lennon
スターティング・オーヴァー #1:80/12/27-81/01/24(5wks.)

 正直言って、初めてこの曲を聞いた時は「大した曲じゃないな。」と思いました。実際、イギリスでは最高位6位を記録してチャートを下降していたそんな時、それほどBeatlesに思い入れのない私でも忘れることのできない事件が起きました。12月8日(現地時間では7日)、John Lennonはファンだという男に射殺されてしまったのです。
 病気や事故ならまだしも、わけもわからずに殺されてしまった理不尽さに、激しい憤りと悲しみを感じました。そして、悲報は瞬く間に世界を巡り、イギリスを含めて世界各国でこの曲はチャートのトップに立ったのでした。
 それでなくても、Beatlesの事実上のリーダーとして絶大な人気を誇っていた彼は、日本人と結婚していたということで、特に日本での人気はすごいものでした。ところが、この事件によって、Beatlesの最結成は不可能になってしまいました。彼は伝説となり、1つの時代が終わったのです。
 しかも、この曲、チーン、チーンとまるで仏壇の鈴を鳴らしているかのような音で始まります。おかげで、私にとっても思い入れの深い曲となりました。思えば、この事件は銃社会であるアメリカならではの事件で、私は、日本では銃を持っているだけで罪になることを誇りに思います。Johnの妻、Yoko Onoがその後、銃の反対運動に精力をそそぐようになったことは言うまでもありません。


- PLUS ALPHA -


LONGER _ Dan Fogelberg
ロンガー #2:80/03/15-80/03/22(2wks.)

 ダン・フォーゲルバーグはイリノイ州生まれ。ナッシュヴィルを拠点に活動していた彼ですが、Jackson BrownやEaglesのメンバーと親交が深いことが知られていました。
 彼も本来はロッカーで、1978年にTim Weisbergとのデュオで最高位24位を記録した「The Power of Gold」のような哀愁を帯びたロックが彼の本来のサウンドなのですが、いいバラードを書くため、この後もヒットするのはバラードばかりでした。
 その中でもこの曲はピカイチで、CASH BOXでは1位になりました。日本語で言われればオーバーでキザだとしか思われないような歌詞の連続ですが、英語だとそれがロマンティックにしか聞こえないのですから不思議です。

THE ROSE _ Bette Midler
ローズ #3:80/06/28-80/07/12(3wks.)

 BillboardでWingsの「Coming Up」が3週連続1位だった時に、CASH BOXで3週連続1位だったのがこの曲で、私に、人気重視のBillboard、曲重視のCASH BOXを印象づけた曲でもありました。
 Bette Midlerは、アメリカでは数少ない、女優としても成功した歌手の1人で、この曲も、彼女自身が主演した映画「ローズ」の主題歌です。
 「ローズ」は、ドラッグのために若くして亡くなってから爆発的な人気を獲得した女性ロッカー、Janis Joplinをモデルにした映画で、厳しい冬に耐えてこそ薔薇は美しい花を咲かすというこの曲の歌詞は彼女の生涯を象徴しているようでした。
 なお、Bette Midlerは、1989年に、映画「フォーエバー・フレンズ」の主題歌「Wind Beneath My Wings/愛は翼にのって」がNo.1になっていて、この曲はその年のグラミーでも、Record of the Yearに輝いています。

TAKE YOUR TIME(DO IT RIGHT) _ S.O.S. Band
テイク・ユア・タイム #3:80/08/16-80/08/23(2wks.)

 S.O.S.Bandはアトランタを中心に活躍していた男7人、女1人のグループでした。
 1978年から1979年にかけてのディスコブームは、シングルがやたら売れた時代でもあり、Billboard Hot 100でも、ミリオンセラーであるゴールドディスクを示す●マークやダブルミリオンセラーであるプラチナディスクを示す▲マークがたくさんついていましたが、ディスコブームの終焉とともにゴールドディスクも減り、結局、1989年に、RIAAは50万枚の売上げでゴールドディスク、100万枚の売上げでプラチナディスクと認定するようになりました。
 1980年に200万枚以上を売り上げてプラチナディスクに認定されたのは3曲で、「Funkytown」と「Another One Bites the Dust」、そして、この曲です。この曲は、まさにディスコブームの最後のあだ花と言えるでしょう。
 しかし、そんな大ヒットなのに、CASH BOXでは1位になったものの、Billboardでは1位になっていません。当時のHot 100がいかにエアプレイ重視だったがわかりますね。

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