vol.2:1978
29.BABY COME BACK _ Player
ベイビー・カム・バック #1:78/01/14-78/01/28(3wks.)

 プレイヤーは、リバプール出身のPeter Beckettとテキサス出身のJohn Charles Crowleyを中心とした5人組。この曲は本来はHeavenレコードからリリースされるはずだったのですが、リリース前に倒産してしまい、Bee Geesで波に乗るRSOレコードからリリースされました。ところが、日本では、Heavenレコードとの契約が生きていたようで、RSOの販売権のあったポルドールではなく、Heavenレコードのフォノグラムからリリースされています。
 しかし、Playerと言うと、私はどうしても「"Prisoner of Your Love"事件」(と言っても私がそう呼んでいるだけですが)を思い出します。
 「Baby Come Back」のNo.1ヒットに続く「This Time I'm in It for Love/今こそ愛のとき」もTop 10ヒットになり、注目された2ndアルバムからの1stシングルが、この「Prisoner of Your Love」だったのですが、この曲のイントロが、なんと、2〜3か月前に日本で大ヒットした、ツイストの「銃爪(ひきがね)」そっくりだったのです。念のため書きますが、ツイストの曲がPlayerの曲に似ていたのではなく、Playerの曲がツイストの曲に似ていたのですよ。現在でも、洋楽が邦楽にパクられることはよくありますが、その逆はまずありません。それが起きたのです。当然、「全米Top 40」でも話題を呼び、賛否両論の意見が飛び交ったのですが、この曲がTop 40にいたのはわずか3週。しかも、この曲がコケたからか、その後彼らにはヒットがないこともあって、これが単なる偶然だったのか、それとも本当にパクリなのか、またパクったのは本当はどちらなのかといった謎は、結局、闇の中のままです。もうこのことを覚えているかたも少ないでしょうね。

30.STAYIN' ALIVE _ Bee Gees
ステイン・アライヴ #1:78/02/04-78/02/25(4wks.)

 真打ち再登場です。この頃にはすでに映画「Saturday Night Fever」がアメリカでモンスターヒットになっていることは日本でも有名になっていて、日本での公開も決まっていました。しかし、日本でも大ブームを呼び、社会現象となるまで大ヒットするとは、誰も予想していなかったでしょう。
 この曲は1位から落ちたあと、一時は6位まで落ちたのですが、次のシングル「Night Fever」のヒットとの相乗効果で2位に再浮上。5週間に渡って、Bee Geesが1位と2位を独占するという、まさに無敵状態となりました。日本でも、オリコンで最高位19位を記録するヒットになっています。
 ちなみに、この曲のB面には、後にYvonne Ellimanの歌でNo.1となる「If I Can't Have You」がカップリングされています。
 なお、実は、これから8年後に公開された「Saturday Night Fever」の続編のタイトルが、ズバリこの「Stayin' Alive」で、この映画は、なんと、あの「ロッキー」のシルベスター・スタローンが監督しているのですが、はっきり言ってコケてます。

31.(LOVE IS)THICKER THAN WATER _ Andy Gibb
愛の面影 #1:78/03/04-78/03/11(2wks.)

 Bee Geesの「Stayin' Alive」と「Night Fever」の2大ヒットの間隙をぬって1位になったのは、Bee Geesの弟、Andy Gibbでした。しかし、この曲も、作曲はAndyとBarryの共作。そして、Barryがプロデュース、Bee Geesもバックコーラスに参加ということで、ほとんど、Bee Geesがずっと1位だったような感じです。
 さて、この曲のタイトルですが、正式には、「(Love Is)」という副題がついているような形になっているのですが、単に「Thicker Than Water」と呼ばれることはなく、Billboardでは、かっこをつけずに、そのまま「Love Is Thicker Than Water」と書かれていました。
 また、日本では、アルバムが発売された当時は「愛は強し」という邦題がつけられていたのですが、シングルカットにあたってタイトルがイマイチだと判断されたのか、「愛の面影」と改題されています。
 しかし、この曲の歌詞ですが、「愛は血よりも濃い」とかいうならわかるのですが、「愛は水よりも濃い」と言われても、水より濃いものはいくらでもあるだろうという気がしてどうもピンと来ませんね。

32.NIGHT FEVER _ Bee Gees
恋のナイト・フィーヴァー #1:78/03/18-78/05/06(8wks.)

 大本命の登場です。Bee Geesの大ブームの中、8週連続No.1の大ヒット。イギリスでも1位。日本でもオリコンで最高位4位と、世界的な大ヒットとなりました。
 ところで、一般的には、この曲が、映画「Saturday Night Fever」の主題歌だと考えられていますが、実は、この映画の一番最初、タイトルバックにかかる曲はこの曲ではなく、「Stayin' Alive」です。そのため、本来は「Stayin' Alive」のほうが主題歌だと言えるのですが、同じく、Bee Geesが音楽を担当したことで知られる、映画「Melody/小さな恋のメロディー」でも、タイトルバックにかかる「In the Morning」よりも、途中でかかる「Melody Fair」のほうが主題歌だと思われています。共通しているのがおもしろいですね。

33.IF I CAN'T HAVE YOU _ Yvonne Elliman
アイ・キャント・ハヴ・ユー #1:78/05/13(1wk.)

 「Night Fever」に変わって1位になったのは、同じ映画「Saturday Night Fever」からのこの曲でした。おかげで、この映画のサントラ盤は、4曲のNo.1ソングを生んだアルバムとなり、それは史上初の出来事でした。ちなみに、このサントラ盤にはNo.1ソングがもう1曲、1976年にヒットした、Walter Murphy & the Big Apple Bandの「A Fifth of Beethoven/運命'76」も収録されています。
 そして、さらに、この曲のおかげで、「How Deep Is Your Love」から6曲連続、21週に渡って、RSOレコードの曲が1位になるという珍記録が生まれています。ジャケット写真をよく見るとわかると思いますが、RSOレコードは赤べこマーク。この年はまさに牛の年だったと言えます。まあ、実際には午(うま)年だったのですが。
 さて、イヴォンヌ・エリマンはハワイ出身。ロンドンでロックオペラ「Jusus Christ Superstar」のマリア・マグダレーヌ役を務めたことで知られ、この中から「I Don't Know How to Love Him/私はイエスがわからない」がスマッシュヒット。そして、「Jesus Christ Superstar」のブロードウェイ公演やEric Claptonのバックを務めた後のヒットがこの曲でした。

34.WITH A LITTLE LUCK _ Wings
しあわせの予感 #1:78/05/20-78/05/27(2wks.)

 ウイングスはご存知、元BeatlesのPaul McCartneyのバンド。しかし、ポールのワンマンバンドであるため、メンバーの出入りが激しく、メンバーが次々と脱退。ついにはメンバーが3人になってしまいました。しかし、ちょうどそんな1977年の暮れ、イギリスで発売された「Mull of Kintyre/夢の旅人」は、イギリスで250万枚以上を売り上げ、当時のイギリスにおける史上最大のヒットとなったのでした。
 ところが、バグパイプをフィーチャーした牧歌的なワルツ曲であるこの曲は、あまりにもイギリス的でアメリカでは受けないと判断されたのか、アメリカでは、イギリスや日本ではこの曲のB面になっていた「Girls School」のほうをA面としてリリース。これが見事にコケ、アメリカでは「Mull of Kintyre」は幻の名曲となってしまいました。
 そのため、先のメンバーのいざこざなどもあり、ポールの人気もこれまでかと思われた矢先のこのNo.1ヒットは、まさに面目躍如といった感じがしました。この曲のヒットの後、メンバーは2人追加され、Wingsは再スタートを切っています。

35.TOO MUCH, TOO LITTLE, TOO LATE _ Johnny Mathis & Deniece Williams
涙のデュエット #1:78/06/03(1wk.)

 サンフランシスコ生まれのジョニー・マティスは、1957年のデビューヒット「Wonderful! Wonderful!」が、Billboard Hot 100に39週連続チャートインの記録を持っていたということでギネスブックにも載っていた超ベテラン。そして、20年間破られなかったその記録が、私の大好きな曲、Paul Davisの「I Go Crazy」に破られたちょうどその翌週に1位になったのがこの曲でした。
 そして、後に「Let's Hear It for the Boys」のNo.1ヒットを放つデニース・ウィリアムスはインディアナ州出身。Stevie Wonderのバックを務めていたコーラスグループ、Wonderloveのメンバーだった人で、1977年にソロデビュー曲「Free」が最高位25位を記録していました。
 アメリカでは、こういった、ベテランと若手の男女デュオによるヒットというのが結構あるのですが、日本ではどうもこういうのは下世話な想像が先行してしまってダメですね。
 私は、1人では歌えないせいもあって、デュエット曲はどうも敬遠しがちで、この曲もシングルを買っていないのですが、チャートをぱっと上がってぱっと落ちたという感じがして印象も薄いです。

 (ジャケット写真は永井 泉実さんにいただきました。)

36.YOU'RE THE ONE THAT I WANT _ John Travolta & Olivia Newton-John
愛のデュエット #1:78/06/10(1wk.)

 デュエット2連発です。こちらもベテランと若手の男女デュオですが男女が逆ですね。オリヴィア・ニュートン=ジョンは、つい先日シドニーオリンピックで聖火ランナーを務めて話題になるなどオーストラリア人というイメージが強いですが、もともとはイギリスのケンブリッジの学者一家の生まれで、彼女が5歳の時に家族ごとオーストラリアに移住。しかし、15歳でイギリスに戻り、数年後、Cliff RichardのTV番組で人気になってプロデビュー。本人は自分のことをイギリス人だと思っていたようです。
 そして、「Saturday Night Fever」で一躍スターダムにのしあがったジョン・トラボルタの次回作「グリース」からの第1弾シングルがこの2人のデュエット曲だということで、話題騒然。なるべくしてなった1位でした。
 「グリース」はオフブロードウェイで大ヒットしたミュージカルの映画化で、すでにいい大人になっていた、John TravoltaやOlivia Newton-Johnが高校生役を演じているのはかなり無理があるのですが、元は舞台なんだからと大目に見てあげるしかありません。しかし、そのせいか、日本では「Saturday Night Fever」と違ってそれほど映画はヒットしなかったのですが、欧米では記録的なヒットとなり、この映画からも続々とヒットが生まれました。特にOliviaの本国イギリスでは、この曲が9週連続No.1。元のミュージカルからのナンバー「Summer Nights/想い出のサマーナイツ」も7週連続No.1と大ヒットになっています。
 ちなみに、この映画のサントラ盤もRSOレコードです。

37.SHADOW DANCING _ Andy Gibb
シャドー・ダンシング #1:78/06/17-78/07/29(7wks.)

 というわけで、またしてもRSOレコードが連続No.1です。ようやくBee Geesのブームも一段落ついたかと思われたのもつかの間、あっさり弟が1位に駆け登ってしまいました。しかも、彼のそれまでの2曲のNo.1ヒットを越えるヒットになり年間1位となりました。そして、それは、ソロアーティストとしては、初めてデビュー以来3曲連続No.1になるという新記録でもありました。もちろん、この曲もAndyと兄達の共作。例によってBee Geesがバックコーラスに参加しています。
 そして、このヒットの直前に20歳を向かえた彼は、その後もスマッシュヒットを連発しましたが、結局、No.1ソングはこれが最後になってしまいました。というのも、ちょうど10年後、わずか30歳にして彼は病死してしまったのです。亡くなる前の数年はヒットにも恵まれていませんでしたが、まだまだ一花も二花も咲かせられただろうに思うと、実に惜しい人を亡くしたものです。

38.MISS YOU _ Rolling Stones
ミス・ユー #1:78/08/05(1wk.)

 説明不要。ロックグループの最高峰、ストーンズの8曲目のNo.1ソングです。昔は、50歳になったらロックをやめると言っていたミック・ジャガーですが、60歳を越えた現在でも第一線にいるのはご承知の通り。同じイギリスのグループということで、よくBeatlesと比較される彼らですが、30年に渡ってトップグループにいる彼らのほうが上だという人も多いです。
 数々のヒットを持っている彼らですが、実はこの曲以来、No.1ヒットはありません。意外と言えば意外です。

39.THREE TIMES A LADY _ Commodores
永遠の人へ捧げる歌 #1:78/08/12-78/08/19(2wks.)

 コモドアーズは、バラードの王様、ライオネル・リッチーがいたグループ。本来はファンクバンドなので、ファンキーな曲も多く、初のTop 40ヒット「Machine Gun」にいたってはインストゥルメンタルナンバーだったりします(この曲は、よくプロレス中継のBGMに使われていたような記憶があります)が、やはり、Lionel Richieの書くバラード曲は際立っていました。
 そして、そんなバラードで、彼らにとって初のNo.1ヒットとなったのがこの曲でした。「永遠」は「とわ」と読みます。
 さて、この曲は、全体の歌詞の内容から、今にも死にそうな老人が、長年連れ添った妻に対して感謝の言葉を伝えているというシーンが思い浮かびます。私事になりますが、60前にして逝った私の父は、亡くなる前日に、母に向かって「俺はお前と結婚したおかげでいい一生をおくれた。ありがとう。」と言ったそうで、母はその時は「がらにもない変なことを言うもんだな。」と思ったそうですが、その翌日に亡くなったことで、「後から思うと、自分の命がもう長くないことがわかっていたのだろうね。」としみじみ言います。
 ヒットしていた当時は単なるラブソングだと思っていたこの曲ですが、そんな経験を経て、非常に共感を呼ぶ1曲となっています。

40.GREASE _ Frankie Valli
グリース #1:78/08/26-78/09/02(2wks.)

 フランキー・ヴァリは60年代のビッググループ、Four Seasonsのボーカリストだった人として有名な人。
 Four Seasonsというと、1976年のNo.1ヒット「December 1963(Oh What a Night)/1963年12月(あのすばらしき夜)」が18年後の1994年になぜかリバイバルヒットしたのが話題になりましたが、Frankie Valliは1974年に脱退しているので、この曲のボーカルは彼ではありません。
 この曲は、彼にとって唯一のNo.1ヒットですが、グループ活動の傍ら、67年にソロとしてリリースして最高位2位を記録している「Can't Take My Eyes Off You/君の瞳に恋してる」は、日本では、「笑っていいとも」のBGMに使用されたことで大ヒットした、Boystown Gangのカバーで有名ですね。
 そして、映画「グリース」の主題歌であるこの曲は、作曲、プロデュースがBee GeesのBarry Gibb、ギターを担当しているのが、ライブアルバム「Frampton Coms Alive」を大ヒットさせている、Peter Framptonという強力タッグによる曲でもありました。

41.BOOGIE OOGIE OOGIE _ A Taste of Honey
今夜はブギ・ウギ・ウギ #1:78/09/09-78/09/23(3wks.)

 テイスト・オブ・ハニーは元々は4人組だったのですが、結局はジャケット写真の2人、ジャニス・ジョンソンとヘイゼル・ペインの女性デュオになってしまいました。
 この曲でグラミーの最優秀新人賞を受賞している彼女達ですが、その後ヒットに恵まれず、1981年に久々のヒットとなったのが、1963年のNo.1ヒット、坂本九の「Sukiyaki/上を向いて歩こう」の英語カバーでした。着物姿でこの曲を歌う彼女達にはかなりインパクトがありました。
 さて、この「Boogie Oogie Oogie」は、「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティーで、その独特な語り口で人気の高かった、今は亡き糸居吾郎さんが、この年の春くらいから、自分の番組でよくかけていました。私も「かっこいい曲だなあ」と結構、気にいっていたのですが、その数か月後、アメリカのチャートをするすると上昇し、1位になってしまったのには驚きました。
 糸居さんは、自宅に50年代以降のCASH BOX誌をすべてそろえていた(昔はBillboardよりもCASH BOXのほうが有名だった)という、チャートマニアの大先輩。私も尊敬していたものですが、糸居さんもCASH BOXも亡くなってずいぶんたちます。時代の流れを感じてしまいます。

42.KISS YOU ALL OVER _ Exile
キッス・ユー・オール・オーバー #1:78/09/30-78/10/21(4wks.)

 エグザイルはケンタッキー州出身の6人組。グループ結成は1963年に遡るという、苦節15年を経た後の初のヒットがNo.1に輝きました。
 しかし、この曲は、やはり、Exileというよりも、Mike Chapmanのヒット曲だという感じがしますね。
 オーストラリア出身のMike Chapmanは、イギリスで、Suzi QuatroやSweet、そして、後にBlondieを手掛けたことで知られるプロデューサーで、曲は、大抵、Nicky Chinnとの共作で、この曲もそうでした。
 そして、イギリスでは数多くのヒットを生んでいたMike Chapmanの、アメリカにおける初のNo.1ヒットがこの曲でした。そして、それは、彼がアメリカでも大成する第1歩となったのでした。

43.HOT CHILD IN THE CITY _ Nick Gilder
ホット・チャイルド #1:78/10/28(1wk.)

 というわけで、なんとMike Chapmanのプロデュース作品が2曲連続No.1です。これは彼の名前を知らしめる事件でもありました。ただし、この曲の作曲はNick Gilder本人です。
 ニック・ギルダーはロンドン生まれ。11歳の時にカナダのバンクーバーに移住し、1976年、カナダ国内で「Roxy Roller」がNo.1ヒットとなり有名になりました。この「Roxy Roller」は、日本では、Mike Chapmanつながりで、Suzi Quatroが出演、歌も歌っていた、お酒のCMソングとして有名です。
 さて、チャートイン20週目で1位となり、当時としては、1位になるのに最も時間がかかったこの曲は、売春しようとしている家出娘の歌で、ロリータソングとも揶揄されたものですが、Nickによると、少女達への警告になればいいと思って作った歌なのだそうです。

44.YOU NEEDED ME _ Anne Murray
辛い別れ #1:78/11/04(1wk.)

 今度はカナダ人が連続No.1です。アン・マレーは、Celine Dionが出てくる前は、カナダを代表する女性シンガーでした。とは言え、彼女もアメリカではTop 10ヒットが3曲あるだけで、それほど大きなヒットはなく、彼女にとって初のTop 5ヒットとなったこの曲は、同時に、彼女にとって初のNo.1にもなりました。
 美人歌手として有名だった彼女ですが、結婚後、出産のため、2年間休業。復帰後初のヒットでもありました。
 ちなみに、「からい別れ」ではありません。「つらい別れ」です。

45.MACARTHUR PARK _ Donna Summer
マッカーサー・パーク #1:78/11/11-78/11/25(3wks.)

 ディスコの女王の登場です。ドナ・サマーはボストンの出身ですが、ミュージカル「Hair」のドイツ公演のため、ミュンヘンに移り住み、そこでオーストリア人の俳優ヘルムッド・ゾンマーと結婚。離婚後、元夫の姓を英語化したサマーの名前でデビュー。ヨーロッパを席巻しました。そのため、アメリカ人なのですが、ドイツから出てきたというイメージが強いです。
 イギリスでは、この前年「I Feel Love」が大ヒットしていた彼女の初のNo.1ヒットですが、1968年に最高位2位を記録しているRichard Harrisのカバーで、マッカーサーパーク自体は、L.A.のダウンタウンにある公園の名前です。

46.YOU DON'T BRING ME FLOWERS _ Barbra Streisand & Neil Diamond
愛のたそがれ #1:78/12/02,78/12/16(2wks.)

 例によって、デュエット曲は買ってません。
 この曲は、2人のスーパースターが同じ曲をアルバムに収録していて、しかもキーが同じであることに気づいたラジオのDJが、2人の曲を編集してデュエット曲のように流したところ評判になり、実際にこの2人がデュエットした曲がリリースされたものです。
 ニール・ダイアモンドとバーブラ・ストライザンドは2人ともブルックリン生まれ。2人とも過去に2曲づつNo.1ヒットを持っていました。Neilはシンガーソングライターで、この曲はNeilと他2人による共作です。

 (ジャケット写真は永井 泉実さんにいただきました。)

47.LE FREAK _ Chic
おしゃれフリーク #1:78/12/09,78/12/23,79/01/20-79/02/03(5wks.)

 シックは、名プロデューサーとして名高いナイル・ロジャースとバーナード・エドワードがいたことで知られる、伝説のグループ。この2人がプロデュースを手掛けたアーティストは数知れず、また、ロックとディスコを融合した彼らのサウンドは、このChic時代にもその片鱗をうかがわせていました。
 「Chic」はフランス語ですが、Nile Rodgersはニューヨーク生まれ、Bernard Edwardsはノースカロライナ生まれのれっきとしたアメリカ人。なぜか、当時、「A.T.40」のケーシーだんなは、彼らのことを「チック」と発音していたので、アメリカでは「チック」と呼ばれているのかなとも思ったのですが、この曲の中でも「c'est chic(セ・シック)」というフランス語が何回も出てくるので、そんなわけはありませんね。
 ちなみに、「freak」は、ファンとかマニアを意味する言葉ですが、この曲のヒットのおかげで、日本でもよく知られる言葉となりました。


- PLUS ALPHA -


SHORT PEOPLE _ Randy Newman
ショート・ピープル #2:78/01/28-78/02/11(3wks.)

 「Baby Come Back」と「Satyin' Alive」の間に、CASH BOXでは1位になったのがこの曲。
 ランディ・ニューマンは、多くのアーティストに曲を提供していたソングライターで、自身の3年ぶりのアルバムからのヒットでしたが、問題の1曲でもあります。
 というのは、「Short People」とは、好意的に解釈すれば「心の狭い人々」と取れるのですが、直訳すれば「小さい人」。すると、とたんにこの曲の歌詞の内容は、「背の低い奴らには生きる価値がない。背の低い奴らは誰からも愛されない。背の低いやつはどっか行っちまえ..」といった意味になってしまいます。
 これでは、背の低い人が怒るのは当たり前で、放送禁止にする局も続出しました。
 私などは、当時は対日感情が悪化していた時代で、アメリカ人にとって日本人はチビに見えるでしょうから、日本人をバカにした歌なのではないかとも思ったのですが、歌詞の中には、「自分も"Short People"だ」という一節があるため、そういうわけではなさそうで、やはり、好意的に解釈するのが正解のようです。

BAKER STREET _ Gerry Rafferty
霧のベイカー街(ストリート) #2:78/06/24-78/07/29(6wks.)

 とにかく、かっこいい曲。もやもやとした霧を連想させる出だしに、主人公の登場を思わせるサックスが響き、曲の終わりには「キューン、キューン」とギターがむせび泣く。とにかく1度聞けば誰もがこの曲にしびれるでしょう。
 ジェリー・ラファティーはイギリス人。1973年に「Stuck in the Middle」が最高位6位を記録したグループ、Steelers Wheelの解散後、ソロとして放った最初のヒットがこの曲でした。Billboardでは「Shadow Dancing」にはばまれ、6週連続の2位に甘んじていますが、CASH BOXでは1位になっています。
 ちなみに、ベイカー街とは、あのシャーロック・ホームズが住んでいたとされる街です。

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