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※特報※
2017年の年間チャートは独自チャート
年間チャートと言えば年末一番の楽しみですが、2017年もまた、2009年までのように2週に渡ってTop 100を放送するのではなく、12/23(土)&12/24(日)の1週だけでTop 40のみが放送されました。
近年、1曲の演奏時間が長くなり、4時間で50曲を放送するのは大変なのか、00年代後半の年間チャートではA.T.40Extraの時間まで使って曲をかけていたため、大都市の局など、CM時間が多くA.T.40Extraを放送しない局ではタイトルとアーティスト名を紹介するだけでオンエアはされない曲が何曲もあり、さすがに問題だなと思っていたのですが、Top 40だけにしてしまったというのは斜め上の対応ですね。
しかし、実は、同じく、2009年以降は年間チャートをTop 40のみしか放送しなくなっていたRick Dees Weekly Top 40では、No.1ヒットSPと題した正体不明なSPカウントダウンを放送し、とうとう年間チャート自体の発表をやめてしまいました。年間チャートの人気自体が落ちてしまったのでしょうか?
なお、AT40の年間チャートは2014年から昨年まではMediabaseの発表したチャートをそのまま使用していましたが、今年は以前のように、このMediabaseのチャートをベースとした独自チャートとなっていて、微妙に違う結果となっています。
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R.I.P. Casey Kasem 1932-2014
「American Top 40」のホストとして世界中で愛され、「アメリカの声」とまで称されていた伝説のDJケーシー・ケイスン氏が2014年6月15日に亡くなりました。82歳でした。
既に2013年秋頃から、重いパーキンソン病のため重体であること、また、ケーシーの前妻の子供2人と後妻との間でトラブルになっていることが報じられていましたが、奇しくも父の日の朝に亡くなったのでした。
番組の最後に「Keep reaching for the stars.」と挨拶していた彼が、星のほうになってしまったことに世界中が悲しみ、特に全米のラジオ各局では追悼番組を放送するなどしました。
私も覚悟はしていたものの、やはり寂しいと言わざるを得ません。彼が安らかに眠ることを祈ります。
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American Top 40の歴史
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現在、全米ヒットチャートと言えば、
Billboard誌の
Billboard Hot 100
のことをさすと言っても過言ではありませんが、実は、こうなったのは、70年代末くらいからで、それ以前は、ロイターやA.P.が全米ヒットチャートとして世界に発信していたこともあって、CASH BOX誌(1996年に廃刊)のシングルチャートが全米ヒットチャートの代名詞でした。
では、なぜ、
Billboard Hot 100
が全米ヒットチャートの代名詞になったかと言うと、それは、多分に、
American Top 40(以下、A.T.40と略)の影響だと言えるのです。
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 Casey Kasem |
1970年7月4日に放送を開始したA.T.40は、信頼できるチャートの、上位40曲をすべてオンエアするという、従来のチャート番組とは一線を画すものでした。そして、この番組の構成を考えた本人である、Casey Kasem(ケイシー・ケイスン) のやさしい語り口のDJにも人気が集まり、数年のうちには、全米はおろか、世界各国で放送される人気番組になっていました。そのため、この番組が使用しているチャートだということで、
Billboard Hot 100
の名前が世界中に浸透していったのです。
最初、A.T.40は、3時間番組でした。その頃の曲はどれも3分程度だったので、3時間でも40曲全部をフルコーラスでオンエアできていたのですが、70年代の半ばになると曲の演奏時間が長くなり、何曲かは一部をカットして編集しなければいけなくなりました。そのため、1978年10月に4時間番組になりました。しかし、逆にそれでは時間が余ってしまったため、番組の最初に先週のTop3を3曲ともフルコーラスでかけたり、また、リスナーからの手紙によってCaseyが発案したという、遠く離れた人へ自分の気持ちを代弁するような曲を贈るという人気コーナー「Long Distance Dedication」も曲数が増えました。1978年8月26日の放送でこのコーナーに最初にかかった曲は、Neil Diamondの「Desiree」でした。
しかし、1988年8月、一大事件が起こりました。それまで、番組の顔でもあった Casey Kasem が、この番組を制作していたABC Radio Networkとの契約のもつれから、8月6日の放送を最後に降番してしまったのです。そして、ABCは、8月13日の放送分から2代目のDJとして、Shadoe Stevens(シャドー・スティ−ヴンス)を起用しました。しかし、内容は変わらず、「Long Distance Dedication」のコーナーもありました。
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ところが、A.T.40を放送していた放送局の多くは、Shadoe Stevensへの変更を快く思っていませんでした。そのため、翌年1月21日、Casey Kasemが、新たなチャート番組「Casey's Top 40」をスタートさせると、多くの放送局が、A.T.40から「Casey's Top 40」に乗り換えてしまいました。「Casey's Top 40」の内容は、従来のA.T.40とまったく同じで、「Long Distance Dedication」のコーナーもありましたが、たった1つ違っていたのは、使っているチャートが
Radio & Records紙のCHR Chart(1994年以降はCHR/Pop Chart、2006年以降はCHR/Top 40 Chart)だったということでした。
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CHR は、Contemporary Hit Radio(Station)の略で、別名、Top 40 Stationと呼ばれる、ヒット曲専門のラジオ局のことです。
CHR Chartとは、そういった局のオンエア回数を集計した、エアプレイチャートです。それに対して、
Billboard Hot 100
は、エアプレイチャートでの得点とセールスチャートでの得点の合計点によるチャートですが、当時は、エアプレイ重視で、セールスによるポイントの比率が低かったため、
CHR Chartと
Billboard Hot 100
は、非常によく似ていました。
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ところが、1991年、
Billboard
は、
Billboard Hot 100
の集計方法を、従来のエアプレイ重視から、セールス重視に変更する、という重大発表をしました。これにあわてたのが、A.T.40の制作者側です。と言うのは、アメリカでは、白人はアルバム志向が強くてシングルはあまり買わない。逆に黒人はシングル志向が強くてアルバムはあまり買わない、という傾向が強く、シングルのセールスチャートの上位はブラックミュージックばかりなのです。しかし、アメリカ人の大部分は当然ながら白人で、特に、黒人が少ない中西部ではブラックミュージックが敬遠されており、セールスチャートをそのまま放送しようとしても、放送禁止曲ばかりになってしまうのです。実際、現在、最も人気の高いチャート番組である、
Rick Dees Weekly Top 40
では、そのあたりを考慮してか、数年前まではラップ系の曲は全くオンエアしていませんでした。結局、A.T.40の制作者側の決断は、
Hot 100
との決別でした。1991年11月30日に、
Hot 100
の集計方法が変更されると同時に、A.T.40は、
Billboard
誌の Top 40 Radio Monitor チャートを使用するようになったのです。
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しかし、これが誤算でした。
Billboard Hot 100
の上位の曲の多くが、Top 40 Radio Monitor チャートには入っていないので、
Billboard Hot 100
に入っている曲を聞きたいというリスナーから見放された上、Top 40 Radio Monitor チャートは、CHR Chartとも結構違っていたので、チャートの信頼性も疑われ、だんだんとファンを失っていったのです。
結局、A.T.40は、翌1992年、再度、チャートソースを、
Billboard
誌のCHR Chartにあたる、Top 40 Mainstream Chart に変更しましたが時遅く、細々と番組を続けましたが、ついに、1995年1月、番組は終了してしまったのでした。
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しかし、このことを一番悲しんでいたのは、実は、この番組の産みの親である、Casey Kasem その人だったのです。1998年3月28日、Caseyは、順調だった「Casey's Top 40」を終わらせてまで、A.T.40を復活させたのです。
内容は、「Casey's Top 40」そのままで、使用しているチャートも、CHR/Pop Chartでしたが..。
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実は、1997年頃から、アルバムだけをリリースして、シングルカットをしないアーティストが増え、シングルカットされていない曲がエアプレイチャートで1位になることが多くなりましたが、
Billboard Hot 100
では、このような曲は、チャート集計対象外とされ、エントリーさえしなかったため、この頃、
Billboard Hot 100
は信頼性を疑われていたのです。
ところが、そんな曲があまりにも増えたため、ついには、1998年12月から、エアプレイの得点のみの曲も
Billboard Hot 100
にエントリーさせるようになりました。しかも、21世紀に入った頃からシングルCDの売り上げがめっきり減り、セールスによるポイントがほとんどなくなってしまったため、
時折、話題性の高い曲のシングルがリリースされた場合に、いきなり初登場1位になっては、1〜2週ですぐにチャートを下降してしまうという事態が発生するものの、
Billboard Hot 100
は、ほぼ、エアプレイチャートそのものになってしまいました。
ただし、Billboard Hot 100
のエアプレイチャートは、その集計対象局の大半が、Adult Contemporary、R&B、Country、Dance などの専門局であるため、
CHR/Pop Chartとはちょっと違ったチャートになっていて、ブラックやバラードがやたらと強いチャートになっていたのですが、2005年2月から、ネットでのダウンロードによるセールスもセールスポイントとして
Billboard Hot 100
に加わるようになり、このセールスポイントがかなりチャートに影響を与えるようになりました。セールスとエアプレイのポイントの比率は、90年代初期のそれに近くなっているのではないかと思います。
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ところで、1991年に
Billboard Hot 100
がチャート集計方法を変更し、ブラック勢が上位を占めるようになると、
Billboard Hot 100
を選曲の指標としていたCHR局でも、ブラックが多くかかるようになり、これを敬遠した白人が増えたことから、CHR局の人気が落ち、CHRから、ブラックをかけないAdult Contemporaryにフォーマットを変える放送局も出てきました。
そのため、Casey's Top 40のネット局の減少を危惧したCasey Kasemは、1992年に、A/C ChartのTop 25(その後、Top 20に変更)を紹介する3時間番組「Casey's Countdown」をスタートさせました。
さらには、1994年、
Radio & Recordsがフォーマットを細分化し、ブラック抜きのCHR/Pop Chartといった感じのRadio & Records Hot AC Chartをスタートさせると、
Caseyも、このTop 20を紹介する3時間番組「Casey's Hot 20」をスタートさせたのでした。
そして、CaseyがAmerican Top 40を復活させると同時に、この2つの番組は、両方とも「American Top 20」というタイトルに変更になりました。
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そういう訳で、A.T.40が、
Radio & Records CHR/Pop Chartを使用するのは、最適と思われたのですが、2000年10月、A.T.40はチャートソースを、Mediabase 24/7 National Pop Chartに変更してしまいました。このチャート自体はCHR/Pop Chartと同じオンエアチャートで、チャートもよく似ていますが、
Radio & Records CHR/Pop Chartは、20週以上ランクされた曲が20位以下に落ちるとチャート集計対象外とするrecurrent ruleを採用しているのに対して、Mediabaseでは、長期ランクされた曲が10位以下に落ちるとチャート集計対象外にしていたため、急に圏外にいなくなるヒット曲が多く、チャートの信頼性はイマイチでした。
しかし、チャートの信頼性を犠牲にしてまで、A.T.40がMediabaseのチャートを採用したのには、
Radio & Records CHR/Pop Chartに比べて、Mediabase 24/7 National Pop Chartのほうが新曲が早くTop 40にエントリーするので、番組的にいいという理由だったようです。
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ところがです、それで困ったのが、Radio & Recordsだったようで、
Radio & Recordsは、あわてたように、翌2001年8月に、そのMediabase 24/7と提携。
Radio & Recordsのチャートは、Mediabase 24/7から報告されたオンエア回数のデータを、従来の
Radio & Recordsのrecurrent ruleに沿ってまとめたものになり、A.T.40も、チャートソースを、この
Radio & Records CHR/Pop Chartに戻しました。やはり、
Billboard
がA.T.40のおかげで有名になったように、
Radio & Records
も、A.T.40のチャートソースであるということが、商売上、有利だという考えが働いたのでしょう。
結局、この間、Lenny Kravitzの「Again」は、Radio & Records CHR/Pop Chartでは1位になったのに、A.T.40では1位になれませんでした。逆に、Destiny's Childの「Survivor」は、
Radio & Records CHR/Pop Chartでは1位になれなかったのに、A.T.40では1位になったといった違いが生じています。
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そして、そして、ついにというか、とうとうおそれていたことが起きました。
2003年12月、Casey Kasemは、A.T.40を制作している
Premiere Radio Networkとの契約更新を行ったのですが、Caseyは、「American Top 20」(当時、A/C版とHot A/C版の2種類があったが、2004年3月に、A/C版は「American Top 10」になった)については更新のサインをしたものの、肝心のA.T.40についてはサインを拒否。結局、A.T.40からの降番が決まりました。
これには、現在のCHR/Pop Chartがラップ系の曲ばかりになってしまったため、本来は、CHR(Top 40)ステーションのメインリスナーだった白人のCHR(Top 40)ステーション離れが深刻で、ついには、CHR/Pop局よりも、A/CやHot A/Cのほうが主流になってしまったという背景があり、Caseyも、契約拒否の理由として、「自分を欲しているのは、CHR局ではなく、A/CやHot A/Cだからだ。」といった内容の発言をしています。
また、Caseyも寄る年波には勝てないのか、その頃、月に1度は休んでいましたので、さすがに3つの番組を続けるのは体力的にも難しかったのかもしれません。
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 Ryan Seacrest |
とにかく、2004年1月10日より、Kelly ClarksonやClay Aikenを生んだテレビ番組「Americam Idol」のホストとして知られる、Ryan Seacrest(ライアン・シークレスト)が新しいホストとなり、番組の内容も大きく変わりました。
人気コーナーだった「Long Distance Dedication」がなくなり、その分余った時間で、アーティストのインタビューなどを多用するようになりました。
また、同時に、それまでなかった
A.T.40の公式サイトがオープンし、ユーザー登録による様々なサービスが開始されました。
このサイトを通じて、リスナーが直接、Ryan Seacrestと電話で話したり、プレゼントに応募したりと、番組と連動していくようになりました。
また、それまでは、チャートソースの紹介として「No.1業界紙
Radio & Recordsの報告による、Mediabase 24/7のPop Chart」と言っていたのが単に「Mediabase 24/7のPop Chart」と紹介するようになり、実際、チャートは、
Radio & Records CHR/Pop Chartと微妙に違っていて、Reccurentルールを採用せず、古い曲もTop 40から排除しなくなったとともに、Top 20圏内でも、全体的に上昇中の曲が低めの順位になっているチャートとなりました。
これは、Mediabaseのチャートを元に、公式サイトでの投票によるポイントをくわえた独自のチャートになったためだと思います。
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さらには、それまでA.T.40は、古くはLPレコードで、最近はCDでネット局に原盤を送っていましたが、番組の変更とともに、インターネットでネット配信するようになりました。
おかげで、1〜2週遅れだったアメリカ国外のネット局も、軒並み、リアルタイムでの放送となり、本国アメリカよりも先に放送している国が多くなっています。
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また、A/C(Adult Contemporary)版とHot A/C版の2種類があった「American Top 20」は、2004年3月21日の放送分から、A/C版は「American Top 10」と番組名が変わり、その名の通り、Top 10を紹介する番組となりました。
しかし、放送時間は3時間のままでした。3時間でのTop 10というのはかなり間の抜けた感じのする編成ですが、余った時間は、1つのテーマに沿ったナツメロの特集となっているため、わりと好評でした。
「American Top 20」は、Mediabase 24/7 Hot AC Chartを、「American Top 10」は、Mediabase 24/7 Mainstream AC Chartを使用していました。
両番組は、その後5年間に渡って放送されましたが、2009年7月の独立記念日の週をもって終了し、CaseyもDJとしてのキャリアを閉じることになりました。
40年近くに渡って、全米及び世界中で愛された来た彼ですが、とうとうサヨナラを言う時が来てしまったわけです。
本当にご苦労さまでしたと感謝の言葉を贈りたいと思います。
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さらには、何という巡り合わせか、Billboard誌とともに2大音楽業界紙として名高かった
Radio & Records紙が、ほぼ同じ時期の、2009年6月5日号を最後に廃刊されることになりました。
Radio & Recordsは、すでに3年前に
Billboardの親会社であるVNUに買収されており、
そのチャートも、
Billboard誌に掲載されているものと同じ、Nielsen Broadcast Data Systems によるオンエア回数をもとにしたチャートに変わっていましたが、これで完全に一本化され、読者は
Billboard誌の購読へ引き継がれ、独自サイトも閉じられることになりました。
1975年の創刊以来、最も信頼できる全米チャートとして多くの人々に愛され、
新生A.T.40のチャートソースとしても知られていた同紙の廃刊は寂しい限りです。
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日本でのAmerican Top 40
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世界中で愛されていたA.T.40は、もちろん日本でも放送されていました。日本では、在日米軍向け放送である、FEN(現在のAFN)の、原版そのままの放送と、日本側で再編集された、日本版の、2種類のA.T.40を聞くことができました。
まず、最初に日本版を放送したのは、ラジオ関東(現在のRFラジオ日本)で、1972年10月14日のことでした。ラジオ関東でのA.T.40は、「全米Top 40」と題名も変わっていました。軽快なドラムの音に続く、"It's 10 O'clock p.m.. Welcom to Radio Kanto. It's all American Top 40!"というナレーションに心をわかせ、Casey が紹介する、A.T.40を放送しているラジオ局の中に、"Radio Kanto, Yokohama, Japan!"というフレーズが聞けると喜んだものです。
(ラジオ関東での放送は最初、毎週土曜22:00〜25:00でしたが、後に毎週土曜24:00〜27:00になりました。)
「全米Top 40」は、上昇中の曲は長め、下降中の曲のオンエアはほんのちょっとだけかけて、坂井アナウンサーが再度、曲名やアーティスト名を紹介し、10曲ごとに区切って、エントリーしている曲やアーティストの解説をはさむという内容で、解説は、Elvis Presleyのファンとして有名で、作詞家としても知られる、音楽評論家の湯川れい子さんでした。そして、この解説では、リスナーからの質問などにも答えていたため、番組のファンとの一体感が生まれ、各地の大学に「全米Top 40研究会」なるファンクラブが誕生し、番組の中で、外で、番組を応援するファンが増えていきました。
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 もらったアルバム |
そこで、そんなファン達へのお礼ということで、時々、公開録音も行われていました。当時、学生だった私も、何回か公開録音を見に行きましたが、それは、録音の合間に番組とは関係ないトークがあったり、イントロクイズ大会をやるなど、一種のイベントと言えました。私も、イントロクイズで、American Top 40のロゴの入ったTシャツや、湯川さんのサイン入りのアルバムをもらっています。
また、「全米Top 40」には、日本版独自のコーナーも多数あり、タモリ倶楽部の「空耳アワー」の原典とも言える、「ジョークボックス」(Queenの「Killer Queen」の"Gunpowder,gelatine.."という歌詞が「がんばれ、タブチ」に聞こえる、など)のコーナーなどもありました。「全米Top 40」における、原版の放送時間は、ほぼ半分といったところでした。
なお、現在、DJとして活躍している、矢口清治さんや、今泉圭姫子のペンネームでも知られる、音楽評論家の今泉恵子さんは、この番組で公募されて合格した、アシスタントDJだった人達です。
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さらには、「全米Top 40」では、"Join me next week our weekly countdown. 'til then, keep your feet on the ground and keep reaching for the starts." という、Casey の番組最後のあいさつの決まり文句を、湯川さんは、「来週まで、地面にちゃんとあんよをつけて、星に手をさしのべて、待っていてくださいね..」と訳して使っていました。
余談になりますが、日渡早紀さんの代表作「ぼくの地球を守って」のコミックスの、「花とゆめ」掲載時には広告だった部分に書かれている、後書きは、各巻ともこのフレーズでしめられています。彼女もこの番組のファンだったようですね。
しかし、「全米Top 40」は、1986年9月、「American Top 40」の放送権を、
FM東京に奪われるという、意外な理由で終わりを向かえました。ただ、「全米Top 40」終了後も、しばらくは、タイトルを変え、
Billboard Hot 100
を紹介する番組を放送していましたが、長続きはしませんでした。
さて、
FM東京に移ったA.T.40でしたが、ステレオになったこと、そして、全国で聞けるようになったというメリットはあったものの、毎週日曜19:00〜21:00という、放送時間はわずか2時間。40曲全部聞けるというのが売り物だったはずなのに、Top 5やおもな上昇曲をかける以外は、曲名、アーティスト名を紹介するだけというひどいものでした。
当時は、
J-Waveが「Rock in America」。
FM横浜が、「COUNTDOWN U.S.A.」(1988年10月からは「
Rick Dees Weekly Top 40
」)といった具合に、同じようなチャート番組が多数放送されていたため、そちらに客を取られていったのも無理ありませんでした。
ところで、FENでのA.T.40ですが、FENは、これを1週遅れで放送していました。実は、FENは、1979年7月〜1979年12月の間、半年間だけ、A.T.40をリアルタイムで、ラジオ関東よりも、数時間早く放送していたのですが、どうも、ラジオ関東が文句を言ったのか、その後、輸送手段が向上したにもかかわらず、リアルタイムに放送することはありませんでした。
AFNでは、A.T.40終了後、
Rick Dees Weekly Top 40
を放送していましたが、
FM横浜が
Rick Dees Weekly Top 40を1週遅れで放送している上、さらに1週遅れて、
α-STATION(FM京都)が放送していた間は、AFNでの放送は3週遅れでした。
しかし、FM横浜が放送をやめたあとはリアルタイムになっていました。
そして、1999年10月。本国アメリカでA.T.40が復活してから1年半、ついに日本でもA.T.40が復活しました。
復活させたのは、
FMヨコハマで、しかも急遽放送を決めたため時間枠が取れなかったためか、月〜金の朝5:00〜6:00に5日間かけてTop 40を放送するという、すごい編成でした。
それでも、A.T.40の復活を喜ぶ声は多く、半年後の2000年4月からは、一気にゴールデンタイムに進出。毎週土曜日19:00〜22:00での放送となりました。残念ながら、半年後、19:00〜21:00 に放送時間が短縮され、そのまた半年後には、20:00〜22:00に変更されて放送されてきましたが、折からの洋楽人気の低迷からか、2003年3月をもって終了してしまいました。
しかし、入れ替わりに、2003年4月から、
α-station(FM京都)が、土曜深夜3:00〜6:00に放送するようになりました。ところが、
α-station(FM京都)でのA.T.40はわずか半年で打ち切られてしまい、2003年10月からはそのまた代わり、
FM大阪が日曜5:00〜8:30に放送するようになりました。
そしてそして、2004年4月からは、名古屋の
ZIP-FMでも日曜3:00〜6:00に放送するようになりました。
それから、ついに、2005年10月からは、全世界のAFNが、
Rick Dees Weekly Top 40に替わって
A.T.40を放送するようになりました。実に10年ぶりの復活ということになります。
AM放送なのがつらいですが、これで、関東でもA.T.40がラジオで聞けるようになったわけです。
しかし、FM大阪での放送は2006年9月をもって終了しました。関西での
A.T.40の灯が消えてしまったのは非常に残念です。
さらには、2008年4月からは、AFNに変わって、
Inter FMが放送するようになり、AFNはRick Dees Weekly Top 40を復活させましたが、Inter FMでの放送は2009年3月で終了してしまったのに、AFNはRick Dees Weekly Top 40
の放送を続けたため、またしても関東では聞けなくなってしまいました。
そしてそしてそして、ついに2011年9月をもって、
ZIP-FMでも放送が打ち切られ、日本での放送が無くなってしまいました。
その後、世界中のAFNが再編され、番組の統一化が行われた結果、日本のAFNでもA.T.40が復活したのですが、短い間だけで、従来のRick Dees Weekly Top 40に戻ってしましました。
ただし、2013年12月、AFNがネットでの同時放送を開始したため、それまでは米軍基地がある地方か短波放送でしか聞けなかったAFNが世界中で聞けるようになった上、
各種フォーマットの放送が聞けるようになったため、Hot/ACのチャンネルでA.T.40を聞くことができるようになりました。(Hot/ACのチャンネルですが、なぜかHot/AC版のA.T.40ではなく、Top 40版のA.T.40です)
さあ、みんなで聞きましょう!
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Special Countdown
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71/05 | Top 40 Acts '55-'71 |
71/12 | Christmas Song |
72/05 | Top 40 of '67-'72 |
72/07 | All-Time Top 40 |
72/08 | Top 40 Albums |
72/09 | Top 40 Acts '67-'72 |
73/04 | Top 40 '68-'73 |
73/07 | Top 40 1-hit-wonderer |
73/10 | Top 40 Acts '55-'73 |
73/12 | Christmas Song |
74/04 | Top 40 British Hits |
74/07 | Top 40 Acts of 70's |
74/10 | Top 10 Producers |
75/04 | Top 40 1-hit-wonderer |
75/07 | A.T.40's First Show |
75/10 | Top 40 Acts of 50's |
76/07 | #1's on 4th of July |
76/10 | Top 40 '64-'70 |
77/10 | Top 40 Girl Songs |
78/04 | Top 40 Movie Songs |
78/10 | Top 40 Acts of 70's |
79/07 | Top 40 Disco Hits |
80/07 | Book of Records |
81/07 | Top 40 Beatles Song |
83/07 | Top 40 Acts of 80's |
86/07 | Giants of Rock'n' Roll |
87/07 | Top 40 Hits of 80's |
88/05 | Top 40 Newcomers 80's |
88/10 | Triathlon of Rock'n' Roll |
89/05 | A.T.40 World Tour |
89/07 | Book of Records |
90/07 | 20th Anniversary |
91/07 | Top 40 Acts '71-'81 |
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A.T.40では、時たま、通常のチャートを放送するかわりに、特別番組が放送されることがありました。
その多くは、○○周年記念となる、7月第1週に、あるテーマに沿って、
Billboard Hot 100
のチャートをもとに、番組が独自に作成したチャートを放送したもので、
それには、区切られた期間や、クリスマスソング、ブリティッシュヒット、女性の名前の入った曲、映画主題歌、ディスコヒット、ビートルズナンバー、といった、曲のTop 40や、
区切られた期間のアーティスト、一発屋、最も長い間チャートに入っているアーティスト、1980年代の新人アーティスト、といった、アーティストのTop 40、
そして、1970年代のプロデューサーのTop 10 といったチャートなどがありました。
また、1972年8月には、なぜか、シングルチャートではなく、アルバムチャートのTop 40が放送された他、5周年となる1975年7月には、A.T.40の第1回の番組の内容が再放送されました(ちなみに、ラジオ関東の「全米Top 40」でも、7周年となった、1979年10月に、第1回の放送である、1972年10月14日の内容が駆け足で再放送されました)。
しかし、特番の中には、チャートを紹介する内容ではなかったものも多く、1976年7月には、過去40年間、独立記念日のある7月第1週に1位だった曲を紹介しましたし、1980年7月には、Top 40におけるチャートのいろいろな記録保持者、及び記録保持曲を紹介した、「American Top 40 Book of Records Special」が、また、1986年7月には、ラジオのDJの意見による、偉大なロックンロールアーティストの特集が、そして、1989年5月には、世界各地の地名の入った曲を紹介した、「American Top 40 World Tour」なる番組が放送されました。
しかし、1998年の番組再開後は、こういったスペシャルカウントダウンは放送されなくなりました。
ただし、A.T.10を放送しているAC専門局には、クリスマスシーズンにはクリスマスソングしかかけない局があり、このような局では、例年この期間、番組が休止になっているため、その対策としてか、A.T.10では、2004年の12/11&12,12/18&19の2週に渡って、スペシャルカウントダウン「Top 60 Christmas Song of Alltime」を放送しました。
順位は、この10月頃から募集していたリクエストによるもので、チャートを見てみると、'40年代や'50年代の曲が多く、この番組の聴衆者の年齢層は予想していた以上に高いようです。
残念ながら、私は1週目を聞き逃してしまったので、2週目に放送された上位30曲をご紹介します。
American Top 10 - Top 30 Christmas Songs of Alltime
とは言え、最も人気のあるスペシャルカウントダウンとなると、やはり、年末に放送される、年間チャートということになるでしょう。
年間チャートは、1970年、番組が開始された年から毎年、放送されていて、年によって、
Billboard
(1998年以降は、Radio & Records)の年間チャートそのままだったり、A.T.40が独自に作成したチャートだったりバラバラで、放送される順位も、年によって、Top 40だったり、Top 50だったり、Top 100だったりしています。
また、放送時間も、1974年以降は8時間の特別枠で放送されることがありましたが、放送局によっては8時間枠を組めず、2週にわけて放送するところもあり、日本では、FENは一挙8時間、RFラジオ日本やFM東京では2週に分けていました。
さらには、1970年代の最後である、1979年には、
70年代の総合Top 50
が、1990年代の最後である、1999年には、
90年代の総合Top 40
が放送されていますが、残念ながら、Caseyがいなかった、1989年には、80年代の総合チャートは放送されませんでした。しかし、Casey's Top 40では、1990年11月にSpecial Countdownとして、80年代のミリオンセラーTop 40が放送されています。
以下に、各年の年間チャートと年代チャートを紹介します。記録が残っておらず、順位が不明な年もあったのですが、町田桂一さん、北村豊さん、k-defさん、Mary Stinesさんらのご協力により、すべての年の年間チャートが判明しました。この場を借りてお礼申し上げます。そこで、せっかくなので、番組が存在しなかった、1995年から1997年についても、Casey's Top 40で放送された、Radio & Records誌による年間チャートを掲載しています。
年間チャート
各年
10年チャート
1970's 1980's 1990's 2000's
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American Top 40を聞く方法
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ようやく本題ですが、私は、1997年から、
Rick Dees Weekly Top 40
は、ニューヨークのFM局
WPLJ
の同時放送サイトで聞けることを知っていました。(ただし、WPLJで聞けるのは、HOT A/C Chart を使用している、Adult Contemporary Versionです)。現在、アメリカの多くの放送局が、インターネット上で同時放送をしています。そんな放送局のうちのどれかに、A.T.40を放送している局があれば、また、Casey の声を聞くことができる。私はそう思っていました。そして、1999年の春に、ついに、そんな放送局を見つけたのです。
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その放送局とは、アラバマの
WZYP
でした。おかげで、私は再び、A.T.40を聞くことができるようになり、その後も1つ、2つと同時ネットしている放送局を見つけていきました。
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そして、1年ほどたった頃、k-defさんから、数多くの番組の同時放送サイトを紹介しているページ、
www.chld.de(のちの www.at40.de/ 2006年7月に閉鎖)をメールで教えていただき、30局以上のA.T.40を放送している同時サイトが判明し、Live Scheduleの一覧表を作成しました。
しかし、インターネットラジオにおける著作権問題のため、2001年6月のRIAA(全米レコード協会)の勧告により、ネットで同時放送を行う放送局は激減しました。
思い出深い
WZYPも同時放送をやめてしまいましたが、その後、インターネットラジオは、かえってCDセールスの促販につながるという調査結果が報告されたこともあって、同時放送を行う局が再び増えました。
ところがです、アメリカのテレビやラジオをインターネットで視聴する人々が世界中に増えすぎてしまったため問題となり、基本的にはアメリカ国外からはこれらの同時放送は視聴できないようにすることになってしまいました。おかげで、アメリカ国内ではiHeartRadioを通じて、24時間365日、A.T.40が聞けるようにもなったのですが、こちらもアメリカ国外からの聴取は制限されています。
しかし、幸いなことに、A.T.40はカナダなど他の国でも放送されているので、そちらで聞くことができます。
なお、大阪有線の海外FMチャンネルの中にある、
KSSK
で、長らく、American Top 20(A/C)が聞けていましたが、番組がAmerican Top 10に変わったことで、
KSSK
は、番組のネットをやめてしまいました。
また、2000年の年末に、80年代のちょうどその週のA.T.40を聞けるという「American Top 40 Flashback」という番組がスタートしました。3時間番組なので、最初の1時間分がカットされていたものの、充分、往年の雰囲気を味わうことができたのですが、残っている音源に限りがあったようで、2年目になると前年放送したのと同じ年の内容が放送されることがあり、結局、2002年の年末で番組は終了してしまいました。
しかし、2006年8月から、アメリカの衛星ラジオであるXM Satellite Radioがこの番組に加え、70年代の再放送も行うという、「American Top 40 The 70's」と「American Top 40 The 80's」の2番組を放送開始。昔の音源が次々と発掘、デジタルリマスタリングされ、ほとんどの回の音源が復刻されたこともあってか、その後、通常のラジオ局でもこの番組を放送する局が増え、ついには日本でも2010年10月から、RFラジオ日本と岐阜放送が「American Top 40 The 80's」を放送するようになりましたが、残念ながら2017年3月で終了しました。ただし、RFラジオ日本では、この番組のすぐあとに「全米トップ40 DELUXE EDITION」と称する1時間番組で、再度同じ日の分の放送を日本語による解説多めに早足で紹介し直すという番組を放送していましたが、こちらは今後も継続すると言うことで、この番組は
熊本放送でも放送中されています。
というわけで、直接、ラジオでA.T.40が聞けないあなたや、つい聞き逃してしまったあなたも、Live Scheduleで、放送時間を調べ、A.T.40を放送している時間に、mediaのリンクをクリックしてください。リアルタイムでA.T.40を聞くことができます。
さあ、あなたも、A.T.40を聞きましょう!
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LINKS
●最後に、A.T.40や洋楽のファンサイトをご紹介します。
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American Top 40 Fun & Games Site! |
現在、世界一のファンサイト。掲示板はチャートマニアのメッカになっています。(英語) |
Chart Mania |
Moriさんによる、チャートマニアのサイト。 |
Chart Maniacs |
全米ヒットチャートネタ中心の、とってもビルボードなホームページです。 |
OLDIES BUT GOODIES |
Ruruさんによる、オールディーズのファンサイト。1960年から1989年までの、Billboard Hot 100のTop 10ヒットの全曲紹介が壮観。 |
オール・ジャパン・ポップ20 |
Chifumiさんによる、文化放送をはじめ全国で放送されていたチャート番組「All Japan Pop 20」のファンサイト。 |